「仏の顔も三度」どんなに温厚な人でも何度も失敗はすれば怒られる?!同じ失敗はしてはいけないですよ。
2016/09/02
「仏の顔も三度」という言葉をよく聞きます、「仏の顔も三度まで」だと思って覚えている人もいるのではないでしょうか?
私も「仏の顔も三度まで」だと思って覚えていたのですが、「まで」は、本来必要ではないそうですが、どちらもでも言いたいことはわかります。
「仏の顔も三度」にはどのような意味がこめられているのでしょうか?
○「仏の顔も三度」とはどんな意味?
「仏の顔は三度」とは、「仏の顔も三度撫づれば腹立つる」の下の部分を省略して作ったことわざになります。
見てわかると思いますが、「まで」はついていないため、後から付け足された部分であることがわかりますね。
また、わかりやすくすると「温厚な仏様であったとしても、3度も顔を撫でられれば腹を立てる」になります。
「仏の顔も三度まで」と言われることもありますから、3度目までは許されるが4度目はないと思っている人もいるでしょう。
しかし、「仏の顔も三度」は、3度目で腹を立てていることに注意しておきましょう(三度でも四度でもほとんど関係ない)。
どちらでも、どんなに温厚な人でも何度も失敗すれば怒ると言う意味になります。
「仏の顔も三度」を使用した方が正確ですが、「仏の顔も三度まで」の方が使用されることが多いです。
語呂的には「仏の顔も三度まで」の方がいいですね。
どちらも同じ意味で使用されているので、気にしなくてもいいでしょう。
○三度とは何度もと言う意味
「仏の顔も三度」に使用される「三度」は3回という意味でとらえられることもありますが、何度もという意味で使用されています。
温厚な人が必ず三度で怒ると言うわけではなく、3回で怒る人もいれば4回で怒ってしまう人もいるでしょう。
ここで重要なのは、回数ではなく何度も同じ失敗をくり返し行わないことであり、3度行ってはいけないという意味ではないのです。
温厚な人でもいずれは怒ってしまいますので、怒られる前に見直すことが大切になるでしょう。
今日を振り返ってみて、どんな失敗があったか考えてみると良いかもしれませんね。
また、「仏の顔も三度」と同じ意味を持っていることわざも存在していますよ。
○同じ意味を持っていることわざ
「仏の顔も三度」と同じ意味を持っていることわざには、「地蔵の顔も三度」や「仏の顔も日に三度」、「兎も七日弄れば噛み付く(うさぎもなのかぬぶれはかみつく)」あります。
「地蔵の顔も三度」と「仏の顔も日に三度」に関しては、ちょっと変化しただけですね。
「地蔵の顔も三度」は仏から地蔵に変化しただけで、聞いたことがない人からすれば、間違っているように捉えられますね。
また、「仏の顔も日に三度」は同じ意味と使用されますが、仏は1日経つと、昨日のことは許してくれるのでしょうか?ちょっと気になりますね。
「兎も七日弄れば噛み付く」は、おとなしい兎でも七日いじめれば噛みついてくることから、おとなしい物でも限度を超えれば怒り出すと言う意味で使用されます。
兎を七日もいじめることに関しては、かわいそうな気がしますね。
「仏の顔も三度」を使いあきたと言う人がいれば、「兎も七日なぶれば噛み付く」を使用してみてもいいかもしれません。
ただ、「兎も七日弄れば噛み付く」は、意味がわからない人が多いことわざなので、言った後に説明しないといけないかもしれません。
温厚な人でも、何度も失敗はすれば怒ってしまいますので、あまり怒られないように同じ失敗は極力減らしていきましょう!